月と東京タワー

5つのエイズ薬を開発したノーベル賞候補 満屋裕明医師(1)

      2017/02/07

世界で初のエイズ薬、AZTが認可されたのは1987年でした。この最初の薬剤AZTを開発したのは、日本人医師満屋裕明氏です。

満屋医師はその後、ddIという別なエイズ薬の開発にも成功します。

現在では約30種類のエイズ薬が存在しますが、そのうち5種を作り出したのが満屋医師です。
AZTから今日まで、エイズの治療薬は飛躍的にその効果を伸ばし、いまやエイズは慢性の感染症のひとつと考えることすら可能なほどに、死亡率を下げています。

その道を拓き、これまでずっと研究者の先頭を進んできた満屋裕明氏の名前は、意外に知られていません。

そして、ノーベル賞候補とも言われるこのDr.MITSUYAが戦ってきたものはウイルスだけではありませんでした。

満屋裕明医師

反米思想とアメリカ留学

佐世保市の地方公務員の父と看護婦の母の間に生まれた満屋氏は、子供時代
長生きのくすりを作る
と、母親に約束していました。

この「長生きのくすり」という夢は、大人になってからも(おそらく今現在も)満屋氏の原動力として生きているようです。

高校時代には左翼に傾倒。当時(60年代)さかんだった学生運動に参加したことも。

熊本大学を卒業後、同大学病院に勤務する中、アメリカ留学の話が持ち上がります。
学生運動に関わっていたため、米国のビザが心配されましたが、ビザはすんなりと発給され、満屋氏はアメリカNCI(国立ガン研究所)の一員となります。

反米青年だった満屋氏のアメ帝上陸。

このことが後に、全世界のHIV感染者の、そしてエイズ研究の運命を大きく変えることになります。

AZTが誕生するまで

感染経路不明のHIVウイルスの研究につきまとう困難

満屋氏の上司であるNCIのブローダー氏が「エイズウイルスを研究しよう」と提案しますが、実際にウイルスを扱う危険な仕事をするのは満屋氏のほうです。
当時はまだ感染経路も明らかでなく、ウイルスを直接研究する作業は命の危険に繋がる可能性すらあると認識されていることでした。

悩んだ末に研究を引き受けた満屋氏ですが、同僚は謎のウイルスをそこで扱うことを強く拒否。
結局自分のラボで研究作業をすることを諦めざるを得なくなります。

歩いて10分程度のところにDr.ギャロ(HIVウイルスの発見者とされていた博士)のラボがあり、夜間だけそこを使わせてもらえることになりました。

DrGallo

Prof. Robert Gallo, in 1995 at the 19th International Congress of Chemotherapy in Montreal, Canada

満屋氏は毎日、昼間はNCIで従来の研究を続け、夜になると研究資材を持ってギャロのラボへ向かうようになりました。
しかしそのビルは夜になると鍵がかかり、中から外へは自由に出られますが、外から入るには鍵が必要でした。

満屋氏はその鍵を渡されませんでした

毎晩ビルの正面玄関前に立って、中から誰かが出てくるのを待つしかなく、そうやってたどり着いたラボで、誰もが恐れるウイルスの研究をひとりで続けていきます。

毎日朝の8時から深夜まで研究所に身をおき、週末もひとり出勤して実験を続ける満屋氏でした。外国人はこれをどう思ったでしょう?
「クレイジー」と陰口を叩く者もあったようですが、当の満屋氏はその頃、「疲れた」とは一度も言わず、「もっと時間が欲しい」と話していたそうす。

トライ&エラー そして

スラミン

そうした中、思いがけないきっかけからエイズ治療薬の糸口が得られます。suramin

候補として上がったのは、眠り病の治療薬である「スラミン」という薬でした。昔からあるその薬剤がエイズに効くのかどうか、半信半疑ながら進められた実験は成功しました。

試験管内で、スラミンはT細胞は生かしたままウイルスだけを殺していました
時は1984年7月6日、この日が、世界で初めてエイズウイルスを倒す物質が発見された日となります。

科学誌「サイエンス」に掲載された満屋氏のスラミンの効果に関する論文は、医学界にセンセーショナルに迎えられ、すぐに感染者に投与してみる治験の開始が決定します。

雑誌掲載から治験の認可、開始まで、すべてが異例の早さでした。
当時の世界が、どれほどエイズに怯え、治療法の発見を望んでいたかが伺われます。

ところが…

治験の結果は芳しいものではありませんでした。

試験管内では良く効いていたスラミンでしたが、人の体内ではタンパク質と結合してしまい、副作用が強く現れる一方、効果はあまり見られず、治験は途中で打ち切られました。

でも、研究はこれで終わりではありません。

スラミンがダメなら他の薬剤を、エイズに効果があると考えられる成分を、端から試していくのが研究者の道です。

ラボ・チーフのブローダーは、製薬会社との共同研究を考えます。

エイズウイルスの危険性と、開発した薬剤がどれくらい売れるのかが不明であることから、なかなか色よい返事が得られないのですが、エイズの患者数が加速度的に増加していることが明らかになると、共同研究に乗り出してくる企業がありました。

バローズ・ウェルカム社です。(現在のグラクソ・スイスクライン社

AZT

共同研究者であるバローズ・ウェルカム社がこの研究に際してやったことは、薬剤をNCIに送ってよこすことだけでした。

コード化され、満屋氏にもブローダー氏にもなんの薬か分からないようになっている薬剤が、まず5つ、ラボに送られてきましたが、これらはすべてボツになります。どれもウイルスを死滅させはするのですが、同時に人の細胞も殺してしまいます。
スラミンのように、ウイルスだけを叩く成分は、送付されたものの中にはありませんでした。

その報を受けたバローズ・ウェルカム社は「もうひとつだけ薬を送る」と言ってきます。
「S」とコードのふられたその薬剤のテストを開始して6日後、試験管に変化が起こります。最後の薬剤「S」は、ウイルスだけに効き、細胞を救っていました。効いたのです。

「S」は、随分前にガンの治療薬として合成されたものの効果がなく、そのまま長らく忘れられていた物質「アジドチミジン」でした。
これがAZTです。

AZTの抗エイズウイルス効果は、満屋氏よにってすぐに論文発表され、バローズ・ウェルカム社はAZTの販売の準備に入ります。

AZTの成功を喜んでいられるのは束の間でした。
この後満屋氏は、思いも寄らぬゴタゴタに巻き込まれることになります。

続きは 5つのエイズ薬を開発したノーベル賞候補 満屋裕明医師(2)
(2で完結です)

スポンサーリンク


 - HIV